ほろ酔い十年


2006年、春の陽射しと北風が交ざり合う頃、
私たち夫婦は、鴨川近くの小さな町家から
結婚生活を始めました。
古びた教会で式を挙げたのは、3月21日。
この日が「酒器 今宵堂」の出発だと思っています。

「毎日、晩酌をしよう。」
結婚と同時に酒器屋を歩み出した私たちの誓い。
この言葉の蓄積こそが、
まさしく私たちの十年間でした。
この写真は、ふたりでした最初の晩酌。
なんだろう?きんぴらだったかな?

大仕事を終えてほっとしたときも、
せっぱ詰まった〆切前も、
ハレの日もケの日も。
夕飯前のほんの一杯とささやかな肴で、
おつかれさまを交わすこと。

でも、仕事や子育ての慌ただしさは容赦なく、
手の込んだ肴作りは面倒な時もあります。
ならば、肉屋のコロッケや
スーパーのお総菜でもいいんじゃない?
こんな「買ってきた肴」がよく並ぶのが、
今宵堂の「晩酌帖」

素敵で丁寧な酒卓ではないけれど、
そのかわり無理もありません。
そして、街での肴探しが好きになるきっかけにもなりました。
初めてそういう晩酌の写真を撮ったとき、
それがいいのよ、と後押ししてくれた人生の先輩や
その写真を楽しんでくださった吞兵衛さんたちに
あらためて感謝です。

酒器屋を始めた当時、
銘柄も呑み方もそれほど知らぬ私たちに、
お酒のアレコレを教えてくださったのは、
工房を訪れてくださった吞兵衛のお客さまたちです。
今、定番として作り続けている酒器の多くは、
お客さまとのやりとりを介してできたものばかり。

「ハート盃」は、三重の蔵元杜氏と新潟の蔵の娘さんの
ご結婚のお祝いの器として生まれました。
「結婚」という幸せの形を
どうやって日本酒の盃にするか、
ふたりで楽しく考えたものです。
ハートという甘いモチーフのフォルムは、
そっと口付けを促すようなやさしい口当たり。
白瓷ならではの持ち味となりました。

「白瓷片口」は、東京の居酒屋さんのご注文でした。
お酒が入る容量というものをちゃんと意識し始めたのは、
この片口からかもしれません。
やきものの味わいだけではなく、
酒器屋としての成長を促された器。
やや楕円気味にすると持ちやすく、
女性のお酌もすんなりと。
でも、まだ今も試行錯誤が続く片口の奥深さ。

一合ではなく、半合でなるべくいろんなお酒を楽しむ、
という酒場のムーブメントも器は追いかけます。
うちで作っている「蕎麦猪口」は、
江戸時代初期に多い小振りのもの。
半合出しをされている飲食店さんからのご注文で
できあがったサイズです。

「白瓷平盃」は、吞兵衛夫妻のご結婚の引き出物として、
それまで作っていた平盃を見つめ直しました。
お二人の酒への愛と経験から、
平盃の大きさや佇まいが定まりました。
シンプルだからこそ、細部にこだわる、
そんな酒器作りの在り方を学んだ気がします。

この平盃に金魚の絵を描くようになったのは、
お客さまから教えていただいた「長崎の魚石」という民話より。
魚石(ぎょせき)という石の中で金魚が泳ぐお話ですが、
魚石→うおいし→おいしい、との繋がりで、
料理屋の屋号にも多いそう。
磁器の盃の中で泳ぐ金魚を眺めて一献。
ちなみに、金魚が泳げるほど薄い酒を金魚酒と呼びます。
酒言葉で遊ぶ楽しみも覚えました。

そして、晩酌だけでなく、街で「呑む」ことの
楽しさを教えてくれたのは、酒場通の師匠。
連れられて知った京都の大衆酒場、
そこに凛と並んでいたのは、大量生産の酒器たち。
中でも「徳利」はなんともいえない素っ気なさ。
そしてそれゆえの艶っぽさに大いなる感銘を受けました。
今宵堂の「燗徳利」は大衆的なものへの郷愁に
ほんのりと手跡を残していくことを意識しつつ作っています。

まだまだ数えきれないほどの酒器の成り立ち。
思い起こせば起こすほど、私たちは、
お客さまに「酒器屋」にしてもらったんだなあとしみじみ。
今はちょうど、初心な頃を少し過ぎて、
酒のあれやこれやを舐めながらの
ほろ酔い気分といったところでしょうか。

そういえば、工房の玄関にある小さな窯で、
この十年で925回の窯たきをしました。
そこから生まれたたくさんの酒器たちが、
吞兵衛さんの手元できょうもお酒に浸っているかと思うと、
こんなに幸せなことはありません。

朝、保育園へ娘を送ってから、仕事へ入ります。
「おちょこつくってる」ことを感じ始めた三歳児。
「おしごと、がんばってね。」と声を掛けてもらった日は、
なんだかウルっとうれしいものです。

こうして、今日もふたりで工房に立ちます。
この一日に、心よりありがとうございます。

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