立ちどまることの意味

七分咲きの紫陽花を抱えて、陶芸体験のお客様がやってきました。

なにはともあれ、お昼ごはん。

今日の献立は、
タコ夏サラダ
じゃがいものアリオリソース
卵とサーモンのカナッペ
鶏肉のパプリカ煮込み

先日、ソムリエに頂いたおいしい安ワインを呑みながら
一体何を作ろうか、楽しい予感に舌鼓。
「お酒でも呑みながら」という、今宵堂・陶芸体験の主旨を
またも忠実に果たしてくれました。

今回のメンバーは全員、美術と料理に心得があるということで、
私達もどんな意表をつかれるのか、楽しみにしていました。
つまり、芸術的!な作品が多いかな・・・と。

しかし、生まれてくるのは、シンプルな器ばかり。
そして、一番感心したことは、闇雲に作っていかないこと。

「これくらいの大きさの和え物鉢」
「一人、かつおのタタキ皿。」

盛りたい料理をイメージして、難しい電動ロクロも形が出るまで粘る粘る。
考えがまとまるまで、じっとタタラを見つめる。
素人とは一味違うリズムのようでした。

彼らはみんな、果てしないキャンバスに
立ち向かうように絵筆を握っていた時代があります。
ただ、あの頃と違うのは、立ち止まることの意味を知ったこと・・・でしょうか。
それはきっと、私達の器作りにも通じるように思います。

おいしい日本酒で幕を閉じた陶芸体験。
まったく装飾のない器の卵達を眺めながら、
思わず笑みがこぼれました。

また、やられましたね。

060628

4件のコメント

  1. 自分の料理を盛りたい器を自分で作る。

    理想ですね。

  2. >まろさん

    自分の勝手の良い器をみなさん求めてますね。
    みんなが作ると私達の商売は上がったりですが・・・

  3. でも、お2人の感性が好きな人は、やっぱりお2人の作品を買うのでは?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。