弟子屈のおいしい時間


川の木々の先が、ほんのり色付いてきましたね。
さぁっと吹く風の冷たさに秋の気配を感じます。

8月末から始まった北海道展・今宵堂『ほろ酔う器展』
20日間近くもの北海道旅から帰って、
ひと月が過ぎました。
急ぎの仕事に慌ただしくしながらも、
なんとなくいつも小さな喜びに満ちた日々。
いいことがたくさんある、ということではなく、
酒器を作ること、この街で暮らしていること、
私たちの「普段」がもっと愛しくなるような旅の経験を
家族で重ねることができたからかな、と思うのです。
仕事と生活の糧となるような風景を
私たちは北国でたくさん眺めることができました。

大自然の道東や十勝を巡った旅でしたが、
どんな果てしない景色の中にも、
いつもそこには住む人の仕事の跡がしっかりとあって、
それが北海道という土地の凄味であると知りました。
豊かな産物は、手付かずの自然から溢れるわけではないのですね。

展示会の最中は、どちらかが子守という役目のため、
残念ながら夫婦揃っての在廊はできませんでしたが、
酒器を通して得たこの旅の記憶を、
少しこの日記の中で綴ってみたいと思います。

旅の始まりは、道東・弟子屈での展示会場、
器とその周辺・山椒」さん。

京都の工房を訪ねて来てくださってから、
ずっと願っていた展示を
弟子屈・札幌と二ヶ所で開いてくださいました。
(展示の写真は、今宵堂のfacebookページでもどうぞ。)

「山椒」さんは、ご夫妻の佇まいが、
そのまま暮らしの中に溶け込んだようなお店兼お家でした。
趣と思い入れのある家具や暖炉、目に留まる本棚の背表紙。
でも職住一体の生々しさを感じさせない清々しい空気。
魔の3歳児込みの私たち家族を、三泊四日もの間、
夢のようなオーベルジュとしてもてなしてくださいました。
はちゃめちゃな娘がしっかりと食卓に腰を据える
康代さんのおいしくあたたかな夕ごはん。

野菜の味わいと素材を丁寧に扱われている気持ちが
おいしさに滲んでいて、一家でごはんが待ちきれない毎日でした。
そして、漆器の盆にきれいに盛られた肴のような朝のおかず、
土鍋のごはんと森末さんの味噌汁。

仕事で訪れたはずなのに、
食の記憶が途切れることなく浮かんでくる「山椒」さんの日々。
かすかに、時にははっきりと聴こえてくる音楽も耳に残り、
その音色は、いつも食卓の風景に馴染んでいました。

私たち、仕事と子育てにかこつけて、
いそいそとしたごはんの時間を過ごしていたのでは?
と夫婦でふと立ち止まりました。

手作りデザートはなかなか真似はできなくても、
朝食に挽きたてのコーヒーを入れること、
丁寧にお味噌汁を作ること、
家族のおいしいねって笑顔をゆっくりと眺めること。
晩酌ももっと時間をかけてもいいよね。

やんちゃ娘は、それなりに手間がかかる年齢ではなくなって、
お世話に翻弄される振りはもうできない。
もっと静かな何かを分かち合える、
そんな予感をくれた弟子屈の時間でした。

今より少し、私たちがゆとりのある生活を楽しむこと。
それが仕事と仕事の隙間であっても、
その手間は、きっと楽しく日々を照らしてくれる。
流行りの「丁寧な暮らし」という言葉とはちょっと違う
格好つけない正直さにほっとさせられる
お二人の姿に学んだことでした。

遠くからも多くのお客さまが訪れる山椒さん。
みなさんが、どんな気持ちで来られるのか、
そしてこの場所を好きでいらっしゃるのか、
訪ねてみてよく分かりました。
弟子屈のこの空間で過ごせて、酒器を並べられて、
私たちにとってもなんておいしい時間であったろうと思います。



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